日本語の懐 協力/大修館書店
連載全12回 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回
第2回 台風一家も、課長の憂鬱
連日雨が降り続いた後の久しぶりの太陽に、どことなく華やいだ雰囲気の永徳百貨店インテリア事業部。
カリカリしがちなウスイも、今日ばかりは穏やかな朝を迎えている。
登場人物
渡辺課長 渡辺課長
永徳百貨店・インテリア事業部勤務。過去に日本語に関して厳しい教育を受けて以来、普段の言葉遣いや接客での日本語に目を光らしている。
ウスイ主任 ウスイ主任
31歳の若さで主任に抜擢。売り場を見ながら仕入れもかじる。日本語教育は新人研修で受けたもののいまいち自信がない。
ねねちゃん ねねちゃん
新入社員一年生。接客ではマニュアル通りの対応を見せるが、普段はリラックスしすぎている言葉遣いで先輩社員の頭を悩ませている。
ねね 「おハヨーございマス、ウスイ先輩」
ウスイ 「おはよう。いい天気ね」
ねね 「昨日の台風すごかったデスね。センパイ、今日みたいな天気って『台風イッカ』っていうんデスよね?」
ウスイ 「そうね」
―ウスイ、ふと思いあたるフシがあって、ねねに聞いてみる。
ウスイ 「ねねちゃん、『台風イッカ』の『イッカ』って、どんな字書くか知ってる?」
ねね 「え? 『一』に『家』デスよ」
ウスイ 「…。それじゃ『台風家族』みたいじゃない。『一』に『過去の過』よ」
ねね 「えーー、それってどーゆー意味ですか? 『台風一家』で、家族でピクニックするような天気のことじゃないんですか?」
ウスイ 「わかりにくいたとえ…。台風が過ぎ去った後の、すっきりと晴れわたった天気のことでしょ」
ねね 「でもー、それだと『一』の意味がなくないデスか?」
ウスイ 「むう……」

―ねねちゃん、渡辺課長になにやら説教をされている。珍しくしょんぼりして席に戻ってくるねねちゃん。
ウスイ 「今日は何をやったの?」
ねね 「はあ…来春の新生活キャンペーンの素案を出してみたんですけどー、内容も書式もなおざり…あれ?おざなり…? まあどっちでもいいデスけど、とにかく全然ダメだって言われました」
―渡辺課長、しわい顔をしてパソコンを見ている。
ウスイ 「課長、そろそろO社に出かける時間です」
課長 「ああ、そうだった。あと5分で出よう」
―ウスイと渡辺課長、O社へ向かう電車の中。どことなく不機嫌そうな課長。
ウスイ 「ねねちゃんの素案、イマイチだったんですか」
課長 「かなりイマイチだった。どうもその場限りで出した感がある」
ウスイ 「なおざりな感じ…?」
課長 「ウスイくん、この場合は『おざなり』だ。『なおざり』はもともと『なお(直)+さり(去り)』という説があって、真っ当な状態から離れている意味で、物事を軽くみていいかげんにしておく、おろそか、といった感じだな。『等閑』とも書くが、これは中国語から似た意味の語を借りてきて当てたもの。熟字訓ということになるな。昔はよく使われたが、今はちょっと下火だね。
『おざなり』は漢字で書くと『御座形』で、『座についたままの姿勢』という意味。つまり、立ち上がって事を行わないことから、誠意のない、その場限りの間に合わせ、というニュアンスだ。
ウスイ 「複雑ですね…」
課長 「漢字と用例をあてはめて、おざなりは『(座ったままの)誠意のない報告』、なおざりは『(正直が去った)いいかげんな返事』と覚えておけばいいかな非常に微妙だが、接客で日本語を使う我々としては覚えておきたいな」
ウスイ 「なるほど」

―電車を降りて歩く、渡辺課長とウスイ。
課長 「今日は久しぶりの良い天気だな」
ウスイ 「そうですね。そういえば課長、『台風一過』の『一過』の漢字はどういう意味でしょう?」
課長 「『ひとたび通り過ぎる』といったところか。かといって、ひとたび、ふたたび、みたび…と回数を表すわけでもなく、まあ『さっと通り過ぎる』くらいの意味かな。この場合の『一』は『過』を際だたせる副詞的な役割があると考えた方が、わかりやすいだろう」
ウスイ 「(納得して大きくうなずく)今朝ねねちゃんが…」
課長 「『台風一家』だと思っていたんだろう?」
ウスイ 「はい」
課長 「…ああ、この天気で少し気分が晴れてきていたのに、ねねくんか…あの素案をまた思い出してしまった…。帰ったら、よく指導してやってくれ」
ウスイ 「努力します…」
企画協力/鳥飼浩二(明鏡国語辞典編集委員)
参考サイト/『明鏡日本語なんでも質問箱』(大修館書店)
文責/オフィス・ワイズ 屋敷直子
※「日本語の懐」に登場する百貨店名、人物名はすべて架空で、実際のものとは一切関係ございません。
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update:2005.10.21